ウオの回遊日記

自由に日々を記録する

【日記】22/11/8:偶然見かけた動画と恐怖/情報を遮断する快感

1日のうちに、真っ暗な宇宙に放り出されるような恐怖と、平凡な快感の両方を味わった日だった。

恐怖とは、家族を失う恐怖である。 普段はなるべく思い出さないようにしているけれど、偶然見かけたニュース動画によって思い出してしまった。動画内容は、コロナワクチン接種の数日後に夫が急死してしまった女性への取材らしかった。らしい、というのは、内容は見ていないからだ。サムネイルを見ただけで、これは見たらしばらく抜け出せないくらい憂鬱になるだろうと思った。だからすぐ画面を切り替えた。それだけでも衝撃はなかなかのものだったようで、まだ恐怖は消えてくれない。

 

今まで、私も家族も、ワクチンには万が一ということもあると承知した上で、接種してきたつもりだった。日々流れてくるニュースに翻弄されながら、ワクチンを接種せずコロナに感染した場合の危険度と天秤にかけて、考えた上で決めてきた。それで、これまで何回か接種してきて何も無かったから、いつの間にか安心してしまっていたのだと、その動画を見て気付いた。

では今後はどうするか?そんなことはすぐに決められるわけがない。 私は巷に溢れる陰謀論や反ワクチンとは理解し合えない。しかしワクチンを信じきれるわけでもない。だがコロナウイルスの危険は過ぎ去ってくれない。どうしろというのだろう。家族にこんな話をしても、困らせるだけだ。

 

平凡な快感は、情報を遮断する快感である。
今日、アニメ「チェンソーマン」4話のノンテロップED動画を見るべく、MAPPA公式チャンネルを開いた。すると今夜放送の5話の予告がちょうどアップされていた。物凄く見たかったが我慢した。最近は、放送までなるべく何も見ないことが楽しくなっている。深夜まで起きてリアルタイム視聴せず、翌日までとっておくことで生まれる待ち遠しさ、そして解禁した時の感動がたまらなく気持ちいい。
最近は映画でも、冒頭何分間を公開、なんて特別なことを公式がやってくださったりするのは珍しくない。それはとても魅力的で、以前は見ていた時もあった。
でもこういう、あえて見ない快感もまた良いものだと最近は思う。面倒だったりムカついたりする日々の中に、少しだけ、「これが終わったら…」というささやかな楽しみができた。アニメ「チェンソーマン」には感謝している。

【日記】22/11/3:最近の楽しみと、ネットとの付き合い方の再考

楽しみにしていたチェンソーマンのアニメ。第1話を家族と夕食をとりながら見た。けれどOPで箸が止まり、その後の本編中もそれは続いた。

物事に期待しすぎると、実際に目の当たりにした時の感動が期待を上回らなかったという経験はしばしばあった。
しかし今回のチェンソーマンのアニメは、PV発表時から膨らみ続けた私の期待を軽々と超えてきた。とにかく画面に釘付けで、目を離すのがもったいない、静かな場所でしっかり音も聴きたい、そういうじっくり鑑賞したくなるアニメだった。

 

私は以前から、SNSで人の感想を読んだり、動画サイトで海外の人のリアクションを見るのが楽しみの1つだった。
だから今回も自然とチェンソーマンの感想を検索したのだが、読まないほうがいい時もあると思い直した。
理由は、せっかくの楽しいアニメ鑑賞をだいなしにされかねないからだ。
思ったような映像ではなかったとか、声優が合っていないとかの意見は私も感じたことがあるし、否定したいとは思わない。 しかし、個人の好みだとか意見を超えた、ここに書きたくないくらいの、信じられないほど口汚いただの悪口を、最近多々見かけた。それらをつい、追いかけて見ているうちに、だんだん自分の楽しかった気持ちが不快な気分や怒りに上書きされていくのを感じた。私は自分の心境の変化に気づいて、すぐSNSを閉じた。

そもそも、私が人の感想や反応を見たくなる理由は、楽しさの共有それだけである。
だから今回のように、うっかり口汚い下品な人々に時間を割かないよう、気をつけなければと改めて思った。

 

でも、去年か一昨年くらいの私だったら、嫌な気分に気づいたらその原因から離れるのは中々できなかった。
それはつまり、成長しているということだから、ちょっと嬉しかった。

【日記】22/10/6:ささやかな楽しみこそ大きな幸せに繋がるのかもしれない

 

congerdesignによるPixabayからの画像

仕事というのは臨機応変な対応を求められたり、場合によってはマニュアル通りに動かないといけなかったり、それが同じ職場内で起きていて、面倒くさい。
ある日、質問してね、と言ってきた人に、別の日に質問したら、理解させる気がないかのような長文で延々と返されたり、これはあなたの担当ではないと言われたものを置いておいたら、やってくれと催促されたり、何がしたいのか分からなくなる。
おまけにリモートだからなのか何なのか、チャットを送っても全然返してこない人がいて、仕事が進まない。今日もそんな感じで振り回されて疲れた。
仕事終わりに自分磨きとか大層なことはなかなか出来ない。最低限の家事もままならない時もある。でも、そんなもんかなと言い聞かせる。

最近のささやかな楽しみは、Pixel7の発表(今日の夜中)と、チェンソーマンのアニメ(10/11~)と、Kindle paperwhiteでの読書と、ホラゲー実況を見ること、あとブログ。こうやって書き出すと、案外楽しみがあるものだ。しかし本人の実感としては、毎日の仕事や控えている引っ越し・住宅購入への不安やらによるストレスの方が多い。でも、こうして実感がささやかでも、楽しみがあってよかったと思う。

今までの私は、お祭り騒ぎみたいな楽しみを求めがちだったけれど、そんなものはなかなか無い。私が心身ともにひきこもりがちで、新しい刺激に出会うチャンスを逃している可能性もある。しかし、ひきこもらないと疲れすぎて精神が大変なことになる。だから、激しい楽しみが無くても現状維持するのが最良だと判断している。
こうやって、都度都度自分の許容量を見極めながら、その時の自分にあった楽しみを小さくても見つけていく。地味だけれど、そういう日々も幸せなものだと言えるのかもしれないと、やっと最近思えてきた。
だからこうやって忘れないように書いておく。

【日記】22/10/4:久しぶりに嫌なことを思い出す日

なるべく規則正しい生活を送り、情報の海を遠ざけ、心身を健康に保つ努力をしていても、今朝見た夢のひとつにぶち壊される日もある。

うまくいかない日もあるよね、人間だもの、と自分を慰めても、嫌な記憶の再生が止まらない。今を生きるのだ、呼吸に、指先に意識を向けろ、と言い聞かせるのに、あの人の表情を思い出し、不快な気分になる。今日はそういう憂鬱な1日だった。

 

先週にKindle paperwhiteを買ってから、スマホを触る時間は減ってきている。寝る前も読書の時間と決め、割と守れている。

しかし、今日のような考え事にとらわれている夜は、スマホの、インターネットの誘惑が頭をよぎる。雑多な情報の海にのまれてしまえば、終わりがないかのような憂鬱な過去の再生から、一時的にでも逃れられるかもしれない。そんなふうに考えては、いや、あの海にも、人間の醜い感情が渦巻いていた。だから、私は嫌になって本の世界に平穏を見出したのではなかったか、と思い直す。

 

このまま私はネットサーフィンに手を出さず、静かに読書をして眠りにつけるだろうか。試されている。習慣づけるということは、こういう、平常でない日が最大の障害だと、つくづく感じた日だった。