ウオの回遊日記

自由に日々を記録する

【雑談】嫉妬しないなんてできない

機動戦士ガンダムSEED」を見始めた

最近、家族と一緒に「機動戦士ガンダムSEED」を見始めた。まだ子供だった頃、テレビをつけたら偶然OPが流れていて、「ガンダムってよく知らないけど、ロボットとか裸の女の子がやたら出てくるな、こういうのが流行っているのか」くらいしか思わず、本編は全く視聴しなかった。まさか10数年後に家族と見ているとは予想だにしなかった。

まだ5話ほどしか見ていないが、当時と感想は全く異なり、とにかくキラが可哀そうで続きを見るのがつらい。フレイは状況や年齢を鑑みれば仕方ないのかもしれないが、あまりにキラの心情を思いやらない残酷な振る舞いばかりで、早くアークエンジェルから降りてくれないかと思っている。

あとは、1話を見た時点では、「やっぱりコーディネーターと比べてナチュラルは劣っているよね、だってナチュラルってひどいことばかりするだろ?」とか、「優れていて美しくて全てを持っているような人(=コーディネーター(キラ))も、持っているが故の苦悩はあるのだよ、だから共感しなさい・優しくしなさい」みたいなよくあるお説教をされる話かと思い、正直、積極的に見る気がしなかった。私は今も昔も持たざる側だと自覚しているので、持たざる人の苦悩は実感として理解できても、持っている人の苦悩を真には理解できないと思っているからだ。

持たざる人と持っている人

昔、何人か雲の上の存在のように見えた、持っている友人達がいた。彼らは恐らく自分の恵まれていることに自覚がなく、恵まれていることから由来するであろう人格の穏やかさ、自己肯定感の高さ、そして異性から振り返られる容姿を持っていた(ように私には見えたし、容姿に関しては実際何度も他人から注目されているところを傍で見てきた)。

一方、私は彼らと真逆だった。容姿・頭脳・体格・人格すべてにおいて、最底辺だと自覚していた。親や同級生達からは容姿をバカにされ、モテたことはなく、学歴は低く、自信も社交性もユーモアも無い人間だった。黙って教室の隅で過ごしていたが、他人をバカにしたり派手な行動をしていないのに、嫌な人というのは何故か寄ってきて、「おとなしくてつまらない」だとか、「地味」だとか、顔のパーツやヘアスタイルまでバカにしてきた。私がお前に何をしたというのだ、何が楽しいのか?いつも言い返せない自分への情けなさと、相手への恨みを黙って胸の内に溜め込んでいた。

数少ない友人達には感謝していた。つまらないと言われる自分と一緒にいて話したり遊んでくれることが有り難かったし、楽しかった。しかし、その友人達こそ「持っている人」に見えていたから、一緒に過ごすと自分が背景か脇役であると思い知らされる場面が多々あった。日々、持たざる人であると学習し続けるのはつらかった。耐えられなかった。だから、10数年経った今は、地元から遠く離れ、過去の人間関係は殆ど消滅し、家族ただ1人が支えであり、悲しみが無いわけではないが、あのつらさをまた味わうよりはマシだと思っている。

それでも今回のように何かきっかけがあれば、「私は今も持たざる人である」と暗い感情が込み上げてくる。考えないようにするということは、ここ数年様々に工夫して実現してきたが、完璧には出来ない。記憶を消す装置があったらいいのにと常々思う。羨ましさ・妬みは意外としぶとく、もう交流の無い、持っている人達との記憶と一緒にまだ残っている。

ここまで書いて綺麗にまとまらないけれど、ここ数日こんなことを考えて憂鬱になっていたと吐き出したかっただけだ。

最後に書いておきたいのは、いくら劣等感に苛まれていても、他人を攻撃する理由にはならないと私は思っている。理不尽に他人の人生を破壊する権利は誰にも無い。私や、私の家族が、赤の他人の妬みで傷つけられることなんか考えたくない。だから私は他人と距離を取る。おとなしく生きている。それでも、嫉妬しないなんて、中々できない。何故こうもままならないのだろう。