ウオの回遊日記

自由に日々を記録する

【雑談】理想と現実のギャップ

久しぶりにブログを書くが、とても暗い内容になる。
ここ数か月、仕事も私生活も多忙で、精神的に記事を書く元気がなかった。よりによって、愚痴・嘆きをぶつけたいがために、久しぶりにブログを書く気持ちになるとは、あってほしくなかった事だった。

 

タイトル通り、近頃は、理想と現実のギャップを、今まで以上に見せつけられる日々が続いている。
具体的には、家の購入である。
私は、中身のないブランド至上主義な考え方が嫌いだ。しかし、当の本人が、東京というブランドにこだわっていたのだなあと、家を探し始めて気付かされた。現実的に、予算の問題で、東京の家は到底購入できない。しかも、予算を出すのはほぼ100%、ほかの家族であるから、私があれこれ条件を付け、駄々をこねるのは、何様なのだ、という気持ちになる。しかし、家族は優しいので、「君がここで我慢して、いざ買ってしまってからストレスが爆発しては意味がない」「皆で住む家なのだから、希望条件を言う権利は誰にでもある」と言ってくれる。だから、私も色々と希望条件を考えるのだが、中々、これに該当する家は、今のところ見つからない。まだ家探しを始めて間もないとはいえ、ネガティブ思考な自分は、先行きが不安になってしまった。

 

中学生の頃、私は結婚せず、一生独身で、バリバリ稼いで、趣味に没頭し、楽しく自分の為に好きな事をして暮らそう、と決めていた。あの頃は、今よりもっと考えが足りなかったので、とにかくしゃかりきで働き頑張れば、そこそこ我慢せずに楽しく暮らせるのだろうと思い込んでいた。
実際は、そんなことはなかった。自分は思ったよりも随分と心身ともに弱く、しょうもない些細な他人の一挙一動で不安になり、仕事が終わった後も堂々巡りの悩みで時間を消費し、疲れ切って自分を成長させる取り組みもせずに家事と休息をしただけで1日を終え、その繰り返し、という、ただただ流されていく人生を過ごしていた。高給でもないし、貯金も日々の支出で減ったりもとに戻ったりを繰り返すのみで、人生でやりたいことリストのほんの一部を達成する事さえもままならなかった。お金の問題だけでなく、自分の限界を知るのが怖い、失敗が怖い、という長年の恐れからも、やりたい事に挑戦できないまま、悩むだけで日々が過ぎていった。

 

数か月前から、やっと、資金が貯まり家族からも許可が得られたので、人生でやりたいことリストのいくつかを、実行に移せている。それも犠牲が大きく、得られるものも大きいが、一気に今までの貯金がほとんど消え、心もとない金額になった。もっと自分に稼ぎがあれば、強い人間であれば、と思った。 家も同様である。私が理想の自分であれば、もっと選択肢が広がり、希望条件通りの家に住めただろう。そう思うと、今の自分がしょうもなさ過ぎて、泣けてきた。本当にしょうもない人間だと思う。

以前から、人に嫉妬して落ち込む事が多かった。ただここ数年は悪化しており、実在の人物・架空の人物を問わず、自分より優れた点を見つけると、その相手を意識に入れる事が耐えられなくなってしまった。
例えば、作家が日々の生活の愚痴をエッセイとして出していても、著者経歴を見て有名大学の名前を見つけたり、エッセイ内でさらっと友人の多さや立地の良い自宅の様子を書いていたりすると、もう、つらくて読めなくなる。愚痴がありつつも、なんだかんだ恵まれているじゃないか、しかも、そもそも愚痴をお金を出して買ってくれる人がたくさんいるから、この人は愚痴を本に出来、書店に並べてもらえるまでになっている。なんて「持っている人」なんだろう、という具合に。
これでは、多くの娯楽を楽しめなくなるし、他者との交流も当然、楽しめない。とにかく、他人という存在に触れるもの全てを遠ざけてしまうのだ。
実際に、私はしばらく私生活が見えるSNSや書籍は避けている。ひたすら、一部のゲーム実況や食事動画を見て、あるいは1人でMinecraftやシンプルなブラウザゲームをして、心を落ち着かせている。それくらいしか、今は余暇の楽しみ方が見つからないし、他の現実逃避方法を知らない。

家族にも申し訳ないので、こんなことは匿名のネットでしか書けない。
現実問題として、家はいずれは決めなければならない。たとえ希望条件に合っていなくても、何かを妥協して、決めなければならない。それが情けなく、苦しい。
こういう時に、妥協しなくていい、あらゆる面で力を持った人間になりたかった。こんな後ろ向きで、ひねくれていて、弱い人間にはなりたくなかった。
どうしたら現実を受け入れられるのだろう。いつものことだが、ネットには悩みの声や、体裁だけきれいで何の役にも立たないお悩み解決サイトは見つかるが、解決策は見つからない。どうやって乗り越えたらいいのだろう。