ウオの回遊日記

自由に日々を記録する

【日記】22/9/18:やってみないと分からない、と言い聞かせる

思った・考えたこと

今日は台風のせいか、朝から凄まじい雷と豪雨だった。SONYのワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながら、たまりまくっていた洗濯物を干し、終わってイヤホンを外したら物凄いボリュームの雷と雨の音が襲ってきて、ビックリした。ノイズキャンセル機能の優秀さが改めて分かった。

 

そのあとは、作曲の本を読んだり、YouTubeを見たりした。作曲の本は、読みたい気持ちと読みたくない気持ちが争って、少し始めるハードルが高かった。やはり、私にできるのか、いや私にはこんなことできない、という恐れと諦めが根強い。

しかし、ここ数日考えていて気づいたことがある。もしかして、というかすかな希望ではあるが、自分が既に、まあまあ出来ていることがあれば、それらを習得するまでの過程を振り返れば、何か参考になるのではないか。

例えば、私はブラインドタッチが出来るが、やる前に、作曲の時ほど、私にはできない、と悩まなかった。全然速く打てないどころか、キーの位置も覚えられず、違うキーを押しまくって嫌になったことは何度もあった。でも、必要に迫られていた、という事情もあったが、私には絶対に向いてない、とは思わなかったし、やめなかった。そして、そのうち気づけば出来るようになっていた。

だから、嫌になったとしても、続けていれば、高すぎる目標を立てなければ、とりあえず出来るくらいにはなれるのではないか。そういう結論に至った。いつものことで、その後すぐ、いやブラインドタッチと作曲なんて、そもそも難易度が違いすぎないか、比較対象にもならない、と否定的な自分の声が聞こえてきた。しかし、あえて今後はそういう声を無視するのが、楽しいことを見つける第一歩になる気がした。

今日やったこと

  • 洗濯
  • 読書(作曲の本)
  • 休息

【雑談】生きるのは自分をもてなすこと

ここのところ、家族が長期出張で不在である。

そして私は数日間入浴せず、今朝、やっとシャワーを浴びる気になった。頭の痒みが強まっていたので、スッキリした。

いつものことだが、家族がいなくなり1人の生活になると、なぜか自分の世話が出来なくなる。普段から家族に家事や身だしなみ等について厳しく言われているわけではないから、何かの反動、でもない。お風呂も食事も家事も、規則正しく清潔に暮らすのも、全部面倒だ。だらしないと自己嫌悪しても、なかなか直せない。

そもそも自分の世話は何故しなければならないのだろう。精神科に通っていた時期も、そうでない時期も、共通して思っていた。頑張るのは義務ではない。でも私は社会生活をかろうじて送り続け、たまにこうして何もかも面倒になる日々を繰り返す。人に会わなくていい状況をいいことに、人に見せられないだらけきった生活をする。それが嫌だけれど、今は言うことを聞いてくれないのだから、仕方ないとも思う。

お金を稼いで、バランスのとれた食事を摂り、適度に運動して、体型も肌も髪も綺麗に整える努力をして、人間関係や仕事や人生設計に悩んで本やネットに答えを求めて、でも見つからないし意味もないし楽しいことはあんまり無くて、基本的に面倒で嫌なこと、それが生きること。

だから、いかに自分を自分でもてなすかが、少しでも楽しく快適に生きるためには必要な努力なのだろう。

しかし肝心の、自分をもてなす自分の力が足りないと、全然快適に暮らせないし、楽しい何かが見つからない。だから家族とか、別の何かを見つけて寄りかかるしか出来ない。

とはいえ、家族も含め、最後までずっとそばにいてくれて自分を受け入れてくれる都合のいい人などいないのだから(人はいつ事故や病気で亡くなるか分からないし、信頼していた人に裏切られたり、決定的な亀裂が入る出来事も起こり得るのだから)、詰んでいる気がする。自己完結できるか、一緒にいてくれる誰かを常にキープできる程の人間的魅力とコミュニケーションスキルが無ければ、助からないだろう。

 

昔、誰とは言わないが、悩みの答えを求めて、偉大とされる、ある著名人の本を読んだ。そこに書かれていた人生の目的を読み、私はひっくり返った。人生とは神が与えし魂の修行の場だという。

だとしたら、修行した先の目的は何なのか?神とやらは何を企んで、人間達をこの世界に落とし、修行させ、多くの苦しみを味わわせているのか?大きな疑問が湧いたが、そこまでは書かれていなかった。

私は幻滅した。あの人はただのホラ吹きだったのだろう。1番大事な目的が、核心部分が書かれておらず、丸投げだったのだから。人生は修行だと言って頑張り成功している自分を見せ、人を憧れさせ、お金を集める。そういう裏側が透けて見えたような気がした。私はああいうスピリチュアルな嘘が大嫌いだ。だからあれ以来、あの人の発信は追っていない。

 

私は地に足のついた、人をだまして搾取する詐欺師の言葉ではない、別の何かを参考にして、逃げられないのならせめて、少しでも楽しく生きていきたい。

でも、参考になる何かを探すこと自体も、骨が折れるし、そう思っていても、時折ここ最近のように落ちるところまで落ちていくような時間がやってくる。その場しのぎで、やり過ごすしかないのだろう。今はそれしか分からない。
ああ今日も疲れた。腰が痛い。

【今日やったこと】22/9/11:消臭剤とミニマリスト【日記】

今日やったこと

  • 家事(洗濯、トイレ掃除、買い出し)
  • ブログを書く(本記事)
  • メールの整理

思った・考えたこと

昨日矯正歯科に行き、初めて顎の拡大装置の調整をして頂いた。その後軽い頭痛があり不安だったが、予想に反して、2日目を迎えた今日、体調は良かった。頭痛も歯の痛みもなく、食パンが普通に食べられた。とても安心した。

おかげで朝から溜まっていた家事を進められた。洗濯も山盛りだったし、久しぶりに晴れた日の外へ干せて、スッキリした気分だ。
トイレの各所に積もっていた埃もずっと気になっていた。ようやく掃除できて、消臭剤の香りの強度も調節し直して、幾分快適なトイレになった。

トイレといえば、昨日、矯正歯科の帰り道で、気になっていた消臭剤「消臭力 トイレ用 炭と白檀」を買った。近所には無かったので、普段は行かない大型のドラッグストアに寄ってみたら見つかった。最近通っている脱毛クリニックのトイレで、スプレータイプを使ったことがあり、良い香りだったので、家でも使うのが楽しみである。

しばらく前は、消臭剤のキツイ香りで頭痛がしてくる時があり、重曹にミントエキスを数滴垂らしたものを、別途用意したプラスチックカップにガーゼでカバーを付け、使っていた。しかし、たびたび重曹の粉が漏れていたのと、管理が面倒になったので、結局、市販の使い捨ての消臭剤に戻った。

私は、学生の時に某掲示板のお掃除スレを見つけてから、いわゆるミニマリスト的な考えに傾倒し、極力、1つで何役もこなせるものを使っていた。トイレの消臭剤で使った重曹も、その1つだった。
でも、実際にやってみると面倒だったり、意外と物の管理で考えることが増えていたりして、これは果たして本当に効率的なのか?ミニマリスト的な考えを実践できているのだろうか?という疑問が湧いてきた。家族との考え方の違いや、自分とミニマリストに合わない点が出てきたこともあり、今は極端な効率化や、ミニマリストのライフスタイルを追いかけるのはやめている。

昨日、消臭剤を買って帰りながら、消臭剤1つ変えただけで単純かもしれないが、「消臭剤1つ変えただけで」少し楽しみな気分になっている自分に気付き、ハッとした。やはり、極端な効率化やミニマリストへの傾倒は、私の生活から潤いをほんの少し奪っていたのかもしれない。

今後も私は豪邸には住めないので、ある程度持ち物を厳選したり、動線や効率を考える努力は必要だ。
しかしその努力とは、ある程度快適になって家族や自分が楽しく暮らせることが何よりも最優先で目的である。そもそもミニマリストに憧れたのも、快適で素敵な楽しい暮らしがしたかったからだ。だから私は、ゆるい感じで取り組むのがちょうど良かったのだろう、と改めて感じた出来事だった。

【歯列矯正】顎の拡大装置22日目・調整1回目

今日は初めての調整日だった。色々とドキドキしながら通院したが、あっさりとした結果に終わった。

 

まず1つ目の心配は、装置をどのように調整するのか、だった。ワイヤーを取り外し、そこそこの長い時間をかけて、調整されると予想していた。

しかし実際に要したのは、先生との質疑応答も含めて、15分間という僅かな時間だった。ワイヤーも装着したままで、口の中で少しいじられただけで終わった。一瞬だった。

帰宅後、鏡で装置を確認したが、変化も全く分からなかった。

 

2つ目の心配は、調整後の痛みだった。前回(初回)は、通院の帰宅時から頭痛が始まり、夜には睡眠が妨げられるくらいまで悪化した。

だから今回も、前回と違い鎮痛剤の準備ができているとはいえ、またあの痛みを味わわねばならないのか…と憂鬱だった。

しかし、これを書いている今、夜の11時過ぎになっても、かすかな頭痛しか感じず、鎮痛剤も飲んでいない。食事も、咀嚼で歯が痛むことなく、昨日までと変わらないメニューを食べられた。

明日どうなっているか不安はあるが、調整初日だけでも、痛くなくて良かったとは思う。