ウオの回遊日記

自由に日々を記録する

【雑談】偶然そこにいるだけなのに、勘違いしている人々

SNSまとめサイトには、面白い話もあるが、不快なニュースも日々あふれている。いい加減ストレスを感じていたのでしばらく離れるよう努め、成功していたのだが、2~3日前から、刺激が足りなくなってしまったのか、また、つい見るようになってしまった。
そして先ほど、初めてニュースで見かけた日から私が心底嫌悪している人物の記事を見つけてしまった。画像付きリンクだと見たくない顔が表示されるので、文字だけのリンクで以下に貼る。

杉田水脈氏「LGBTは生産性ない」「民族衣装のコスプレおばさん」発言を撤回、謝罪 : はちま起稿

 

彼女に限らず、見かけるたびに思っていたことなのだが、「発言を撤回」は実際には出来ない。いちど発した言葉は相手の耳に、記憶に残るし、こうやってニュース記事にもされ、広く出回っていく。撤回は、消滅させる・取り消す、という意味のある言葉だが、発した言葉は消滅もしないし取り消せない。だから、「発言を撤回」したという誰かのニュースを見かけるたび、ばからしくて心の中で笑ってしまう。
まあ、本人達も実際に撤回できるとは思っていないかもしれない。あくまで、撤回します、と言って取り繕っておきたいだけかもしれない。

 

私は何の力も教養も地位もない、ただの1人の人間である。だから私がここで何を書いたところで、何の影響力も発揮できない。しかし、上記の杉田氏の発言「LGBTは生産性ない」から始まる数々の言葉をネットで見かけてきて、どうしても言いたいことが以前からあった。
ここは私の私的な日記も兼ねた弱小ブログだが、今日は私の怒りを昇華するために、「LGBTは生産性ない」という言葉についての考えを、今から書いていく。

 

結論から言えば、この記事の題名通り、「生産性ない」と他者を見下している人々は、「偶然そこにいるだけなのに、勘違いしている人々」だと私は思っている。政治家にも有名人にも、そしてネット民にも、たくさんの「勘違いしている人々」がいる。「LGBT」を「生産性がない」「国のためにならない」「自然の摂理に反している」と迫害する。また、今回の杉田氏の発言に出てくる「LGBT」だけではない。「非正規雇用者」や「有名大学を出ていない人」「精神病にかかってしまった人」を「負け組」「自己責任」「努力が足りない」と見下す。万人が想像するような「成功した人生」から外れている人々を笑う、そういう人々が軽はずみに発する言葉の数々をネットでたくさん見てきた。だから私はSNSまとめサイトから離れた。

しかし現実ではこんな差別は続いていき、無くなっていない。無くならないのは仕方ない。私にも差別意識はあるかもしれない。心の中の自由も守られるべきで、心の中では「同性愛者とか気持ち悪い」と思っていても、直接私に言ってこなければ、態度に出さなければ問題ない。心の中の差別意識は表に出さなければ分からないのだから、実は私の持つ属性を差別する人と対面しても、隠してさえくれればお互い平和に関係を続けられるだろう。

だが、杉田氏のような政治家が、差別発言を行い、そこに何の問題意識も持っていないことは問題だと思う。多様な人間の集合体である国の政治に関わっている人間が、国民の1属性を迫害するような発言を繰り返すのは、迫害してもいい、差別してもいい、という意識を社会に作りかねない。

杉田氏は恐らく異性愛者である。しかし、それは偶然だ。人は異性愛者になるか同性愛者になるか、または全性愛者や他の性的指向を持つ人になるか、それは選べない。学歴や職業や雇用形態は一見選べそうだが、経済的に難しくて断念することも、努力しても叶わないことも、様々な原因によって決まることが容易に想像できる。精神病にかかってしまうかどうかも、言うまでもなく運も関係してくる。

しかし、自分が高みにいると思う人々は想像力がないらしく、ただただ、その人に問題があると考え、その人の背後にあるだろう歴史を思いやったりしない。自分は様々な偶然でそこにいて、たまたま、自分がまさに今見下し笑い飛ばしている相手の立場に置かれなかっただけだとは思いもしないようだ。

そういう彼らの思いやりのなさ、想像力のなさが私は心底嫌いである。もう二度と顔を見たくない。この記事を書くために、見かけた記事を再検索して表示して、顔が出てくるだけで怒りがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。これほどの怒りは数年に1度あるかないかくらいの強さである。もしかしたら杉田氏にしか感じないほどの、特別な怒りかもしれない。

とても疲れたので、この記事に吐き出して、少しはマシになったと思いたい。
今週末はいよいよ荷造りにも本気を出さねばならないので、今日は早めに寝ようと思う。